こんにちは。
有限会社壹国(いちこく)代表の大岩敬三です。
横浜市南区大岡で塗装工事、その関連事業をしております。
初代は父の大岩新次郎で、2代目敬三、3代目は息子の洋平。
父はビートたけしさんのお父さんと似ていて、腕は良いのですが、大酒飲みでした。
現在、私共は、国内最大手の塗料会社・関西ペイントのリフォームサミット参画店です。
関西ペイントは最高級の塗料(RSプラチナ、ダイヤモンド、ゴールド、シルバーなど)を取り扱える業者(横浜は15社)を選んで定期的に講習会、技能実習などを行っております。
最高級の塗料はそれなりに良いです。
ただ、一般的な日本ペイント、関西ペイント、各種塗料も取扱っております。
講習会では職人の挨拶、マナーから塗料全般の知識、塗装の仕上がり状態なども勉強しております。
近年突然訪問し、高額な契約をせまる点検商法が増加しています。
「近所で仕事をしていたら、屋根が壊れているのが見えた。」などと言ってくるのが常套手段です。屋根に上がって屋根材を壊して写真を撮ったり、床下に問題がありそうだと言って床下に潜ってシロアリをばらまいて写真を撮る悪質の業者がいます。
仮に瓦が割れていても、普通、屋根の下には防水紙が貼っていありますので、雨漏りでもしていなければ慌てることはありません。
心配なことはこれだけではありません。外に目を向ければ、緊張した国際社会や、各国の強い利己主義です。
実は私は50年前、中国と国交回復後、神奈川県青年の船(団員400名、知事、県職員他200名)で姉妹都市交流と2週間の研修旅行を兼ねて、中国に行きました。
現地ではドラと太鼓、沿道では大勢の人たちに出迎えられましたが、まるで別世界に来たような、映画で見た大正時代の風景のようでした。粗末な家が多く、ビルは100年位前の建物、夜は真っ暗で、外灯はありましたが、乗用車はまばらで、バスがライトを消して走っていました。

神奈川新聞 昭和50年10月5日
それでも人々は人民服でしたが、若い人は特に外国から物事を学ぼうと必死でした。
北京大学で学生たちと話し合っていた時ですが、学生が純粋に色々なことを質問してきて、その答弁に苦労しました。
今の中国とは様変わりです。謙虚さが失われているようです。
私は今でも県知事のある言葉が忘れられません。
当時の長洲知事は、船上での朝礼の時、私達団員に対し「君たちは県税で研修旅行に来ているので、将来県民のために役に立てる人間になって欲しい。」と言われ、多くの仲間が羽ばたいて行きました。
私はどうか、私にできることは誠心誠意、今の仕事に打ち込むことだと思っています。
何かお困りごと、ご相談がありましたら、遠慮なくいってください。
皆様とご縁があれば、幸いです。
よろしくお願いいたします。